いろはにほへと

本の紹介を、備忘録を兼ねて

失われた本

更新が永久停止してしまいそうなので、ちょっと雑談を。

 

私の実家には、「お蔵(おくら)」と呼ばれている部屋がある。

正確には部屋でもなくて、中二階というのが正しいだろう。

そこには、いろんなものが眠っている。古い着物や、年代物のお酒、誰も弾かなくなった楽器といった物から、父のコレクションや季節外れの洋服といった物まで、本当にいろいろだ。

 

その膨大なモノの中に、”本”があった。

母とその姉が昔読んでいた本が主で、バーネットやモンゴメリーから夏目漱石川端康成も揃っていた。(漫画も少しだけあった)

 

私は小学生の頃、お蔵に籠ってずっとそれらの本を読み漁っていた。あまりにも長くそこにいたので、祖父が私のために一人掛けのソファと小さな机をしつらえてくれた。(私がますますそこから出てこなくなったのは言うまでもない)

 

当時私のお気に入りだったのは、若草物語、黒い目のレベッカ、悲しみの王妃、ジプシーの少女、小鹿物語、といったところだろうか。ただでさえ端が茶色く変色して、破れてしまいそうなページをそれはもう繰り返し繰り返しめくっていた。そこにいる時間は最も幸福で、私は満たされていた。

 

だからだろうか。あのころ読んだ本たちにはひと際強い思い入れがある。いつか私に子どもが生れたら。あるいは、妹か弟に子どもが生れたら、私はあの本たちを与えたいと思っていた。

ただ、それはもう叶わない。あのかけがえのない本たちは、今年すべて父の手で処分されてしまった。

 

父に悪意はなかった。ただ、私がどれほどあの本たちを大切に思っていたか知らなかっただけだ。父に罪はない。だから、私は一言も父を責めはしなかった。

かわりに母の膝で声を上げて泣いた。喪失感と、不甲斐なさで胸が張り裂けそうだった。

どうして早くにこの本は自分のものだと言わなかったのか。すべてなくなってしまうまで気付けなかったのか。いくら後悔してもし足りない。

 

あの本たちをどう処分したのか、怖くて父に尋ねることはできなかった。売られるならまだしも、資源ゴミにでもされていたらまた泣かずにはいられないだろう。

 

愛した本たちの多くは偕成社の少女名作シリーズで、探せば中古品は見つけられるだろうが、私はまだそうする気になれない。思い入れがあるのは、昔母が読んでいて、小さな私が読んだあの本だから。

 

 

こうして文章にしてみると、臓器ひとつ失ったような心地が少し落ち着いた気がする。なくなってしまっても、物語の感動が私から去っていくことはない。

せめてもの供養になると信じて、あの本たちの感想もそのうち記事にしたいと思う。