ふしぎをのせたアリエル号
『ふしぎをのせたアリエル号』リチャード・ケネディ(中川千尋 訳)
ぬいぐるみの頭に針を突き刺した経験はあるだろうか?
私はある。
この本の主人公エイミイは船長の人形キャプテンとずっと一緒だった。
エイミイが生れた日にキャプテンも生まれた。
エイミイが10歳の時、ぼろぼろになったキャプテンを繕っていたところ、誤ってキャプテンの頭に思い切り針を突き刺してしまう。
すると不思議なことに…キャプテンに命が宿り、動き出したのだ。
こんな風に、この物語では人形やぬいぐるみが動き出し、本物になる。
小学生だった私はそれを読んで、自分のぬいぐるみたちに同じことをした。
残念ながら、私のぬいぐるみたちに不思議は起こらなかったけれど、今はそれでよかったと思える。
だって、命が宿ってしまったら、いつか終わってしまう。死んでしまう。私を置いて行ってしまう。それは嫌だ。
私はもう二十歳を過ぎたけれど、今でも手放せないぬいぐるみがいる。
パンダのリンリンと、ねずみのブラちゃんだ。
彼らは私の親友で、兄弟だ。
私の成長を(もしかしたら実の両親よりも)よく知っている。
初恋も、いじめられて泣いたことも、妹とのけんかも知っている。
道端で野良猫と会話するのと同じように、私はぬいぐるみたちと会話する。傍から見たらモノにベラベラ喋りかける不審者でしかないけれど、猫にきっと言葉が通じているように、私にしか聞こえない彼らの言葉がある。
ぬいぐるみについて長く書いたけれど、この本のクライマックスは人形に命が宿るところではない。そのあとだ。
キャプテンは本当の船長になって海へ漕ぎだしていく。
元ぬいぐるみの不思議な乗組員たちと一緒に。
その船旅のなかで生まれる、生きていくことの愛憎がこの物語の最大の魅力だと思う。
人形やぬいぐるみの純真なイメージは、彼らが心を持ち言葉を得ることで崩れ去る。
ぬいぐるみにも嫌いな相手や、悪だくみをする心があると知る。
それを知ったところで、がっかりしたり幻滅したりはしない。むしろその人間臭さが愛おしくてたまらなくなる。
もし、大切にしていたぬいぐるみや人形がいるなら、もう一度膝に抱いていっしょにこの本を読んでみてほしい。
今でも一緒に出かけるほど仲良し(リンリンは大きすぎてなかなか外へ出られない)