いろはにほへと

本の紹介を、備忘録を兼ねて

悲しみよこんにちは

悲しみよこんにちはサガン(河野万里子 訳)

 

ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。

 

物語の最初の一文だ。出だしから「あ、この物語は普通じゃないな」と感じる。普通じゃない、というのは構成や内容のことではない。作者の感性を言葉に変換する能力が、あまりにも高すぎるということだ。

 

驚くべきことに、この作品を執筆した当時サガンはまだ19歳だった。私が初めてこれを読んだのは16歳くらい、今は20歳になったけれど、彼女の才能に対する驚嘆は変わらない。

 

物語は夏のけだるい暑さを、冬に思い出して懐かしむような口調で語られる。焼けつくような感情 (例えば、愛や妬みや苦痛)はもう過去のもので、取り出しても少しも痛くない。でも決して淡々としているわけではなく、熱は言葉を通して伝わってくる。

こんな才能があるだろうか。私はうらやましくて仕方がない。優れた感受性をもったひとは、たくさんいる。だけど、それを言葉にして伝えられるひとは、一握りもいやしない。サガンは、その一握りよりも少ない人間のひとりだ。

 

サガンはだいぶ無茶な生き方をしたひとだ。20代前半から麻薬中毒になったり、結婚と離婚を繰り返したり、脱税で有罪判決を受けたり。そしてその傍ら小説を書き続けた。それでも生き急ぐことなく69歳まで生き2004年に亡くなった。(まぁ、少し早い気もするけど)

そんな彼女のデビュー作であり代表作がこの『悲しみよこんにちは』である。

みずみずしく熱い若さと才能にあふれた…。訳者はあとがきで「ところどころ、もしも原文を切ったらまっ赤な血が噴き出すのではないかという気さえする。」と述べているが、全くその通りだ。

 

退廃的な夏休みの刺激に読むことを勧めたい作品だ。

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