会えなくなるから友達じゃなくなるのか
『消えてなくなっても』椰月 美智子
タイトルは登場人物のセリフから。
高校生の時に出会って、夏が来ると読みたくなる。
友情物語じゃない。
これは、愛の話だ。
愚直に、不器用に、自分たちが消えてなくなっても誰かに愛を繋いでいく。
「生きているか死んでいるかは問題ない。おれたちは友達だ。会えなくなったら友達じゃないのか。死んでいるから友達じゃないのか。おかしな話だ。」
「おれたちは友達だ」と言うのは人間じゃない。これは河童のセリフだ。
河童は出てくるけれど、ごてごてのファンタジーじゃない。
逢魔が時、束の間の夢幻を見るように、日常にふと異質な何かが紛れ込む。
そんなこともある。
もしこのセリフを人間に喋らせたら…きっとどこか白々しく、空虚だっただろう。
作者はこの歯の浮くようなセリフを存在が宙に浮いたように不確かな河童という妖怪に喋らせることで、あたたかな血の流れる言葉に変えてしまった。うまい。
ところで、「概念としての夏は好き。」という話を聞いた。
日差し、青空、入道雲、潮風…私も大好きだ。
形而上の夏はあまりにも美しい。
陽炎の幻惑も、風鈴の音にふと我に返る昼下がりも愛さずにはいられない。
ただ、現実はそんなに甘くない。
滝のように流れる汗、肌にはりつくTシャツ、べたつく前髪エトセトラエトセトラ。不快極まりない。
この本はまさに、夏の不快さを形而上概念上の美しい夏に落とし込んでいるのだと思う。
世界はやさしくない。だけど、美しい。