いろはにほへと

本の紹介を、備忘録を兼ねて

わたしを離さないで

 

『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ (土屋政雄 訳)

 

昨年だったか、作者のカズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したので、知っている人も多いかと思う。数年前、日本でドラマ化もされていたらしい。(映画版はみたけれど、こちらは観ていない)

 

命にいったいどれほどの価値があるのか、私にはわからない。もしかしたら命自体はそれほど価値がないのかもしれないとも思う。大切なのは生きていることで、重要なのはそのひとがどんな人生を歩んできたか、だ。命は人生を続けるための手段に過ぎない。

 

主人公たちは、誰かの人生を延ばすために生まれた命だ。生まれて、成長して、誰かに臓器を提供して自分たちは死ぬ運命にある。”もらう側”にいる人々は、”提供する側”にも人生があることを知らない。そもそも、同じヒトだとわかろうとしない。彼女たちは、絵を描く。なんのために?心の存在を示すためだ。描いた絵は展示館に持ち込まれ、一般公開される。わかるだろうか。泣き、笑い、怒り、愛する人間であることを、芸術によってしか示すことができないのだ。

 

ここはノーフォークです。(中略)半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。
 
彼女らに教育を受けさせた先生はイギリスのノーフォークを、「ロスト・コーナー」と説明する。僻地であることを、「失われた土地」という意味でそう説明したのだが、彼女らは冗談で、「遺失物保管場所」というもうひとつの意味で覚える。イギリス中のすべての失くし物が集まる場所、と。物語の最後、親友も恋人も見送った主人公はノーフォークの海辺に立つ。それが上記のシーンだ。彼女のその後は書かれていない。誰かに臓器を提供し、死んだことは間違いない。

 

「ネバーレットミーゴー……オー、ベイビー、ベイビー、……わたしを離さないで……」

 

自分たちの運命を知っていて、それでも彼女らは友人と喧嘩をするし、恋人とセックスもする。そして何より、まだ生きていたいと願う。普通の人間と同等の熱量で。その強さはなんだろうか。どこから湧いてくるのだろう。

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